移住生活

フィジーで得た気づきを振り返り今後の方向性を考える

フィジーに育休移住して3か月。
長期移住者に比べたら誤差の範囲ですが、この間にもフィジー人・日本人移住者・留学生・観光客など多くに人に会って話をしてきました。

そこからの気づきや現時点で良いと思っている今後の方向性をまとめます。

日本暮らしVS海外暮らしどちらが正解か

ズバリ結論から。
『どちらでもない』が現時点での結論です。

フィジーで暮らしていると、一歩引いて日本を見ることも出来るので、『日本って良い国だなー』『日本って課題が多いなー』とそれはそれは目まぐるしく様々な感想を持つことが出来ます。

『やっぱり日本最高!』派の人は日本永住を決めるし、『日本はもうダメ!』派の人は海外移住を決めます。

でもね、フィジー人・海外移住者を見て思うのが、やはりその土地に暮らせばその土地なりのその人なりの悩みが出てくるんですよね。
すごく当たり前ですが。

フィジー人だって、『世界一幸せ』だと言ってもすごくめんどくさそうに仕事してるから嫌なことだってあるわけだし(笑)、自然豊かな南の島というのは裏を返せば何もないとも言えます。

物価が安いということは、もし定住したら外貨を獲得しない限り、多く稼ぐことが難しいということが言えるでしょう。

もちろん人間(日本人であれば?)であれば、人間関係の問題があります。

光があれば影ができるのは避けられません。

特殊な留学生と出会った話

フィジーの語学学校の留学生で少し特殊なケースに出会いました。

経営していた会社を売却して語学留学生として来ていたおじいちゃんです。
留学生というと節約生活をイメージしがちですが、その方は資金力もあるので現地でしか食べられない美味しいレストランをたくさん周り、ゴルフ三昧、ビジネス視察も兼ねての語学留学をされていました。

留学期間が終わり日本に帰国されましたが、ビジネスの種も見つけたので、またフィジーに戻ってきますし、これから年に2か月くらいはフィジーにいようかなという話をされていたことが印象的でした。

「日本か海外か」二者択一にしていたのは自分自身だったなということに、はたと気がつきました。

国で切り分けない、美味しいところをつまみ食いする生活

この経験から、「日本は×」「フィジーは〇」という二元論的な考え方から離れ、一つ国に固執することはやめようと思いました。

それぞれの場所の良いところを見つけ、それだけを上手に得られないかということを考えています。
例えば、フィジーでの生活や様々な海外情報を聞いて感じるのが、安心・安全はお金と手間がかかるということ。

治安が良いと言われている国でも、日本のように全てのエリアの治安が良いわけではありません。
その国の中でも安全なエリア、安全な建物に住む必要があります。
そしてそれにはお金が必要ですし、安全対策もしなければいけないし、治安情報には常に気を配らなければいけません。

また、フィジーの場合は医療レベルが低いのでお医者さんに『大丈夫だ』と言われても、本当に?!と心底信じることが出来ません。
自分自身のことならまだしも、子どもたちに関することであればとても不安です。

そのことを考えると、世界最高クラスの治安の良さ・高い医療レベルの国の永住権、おまけに世界最強パスポートを人生スタートした時点で持っているというのはとてもラッキーなことだと感じます。

それでも、他の切り口で見ると日本も完璧なわけではないですよね。
日本の夏は猛暑すぎるので、日本の夏より10℃涼しいフィジーに行こうというのも良いですし、スギ花粉症がつらい春は、スギのない国で過ごそうというのも良いかもしれません笑。

子どもの頃に、スイカの先っちょだけ食べ尽くしてよく注意されてました。
しかし、用意してくれたスイカと違い、世界は広くパイの奪い合いにはなりません。

海が好きで『エンドレスサマー』という映画をよく見ます。
サーフィンが好きな若者2人が、良い波を追い続けるために、世界に移動しながら“終わりなき夏”を求めるドキュメンタリー映画です。

この広い広い世界であれば、それも可能なんじゃないかと思うわけです。
私たちのようなごく普通の日本人家族でも。

英語は不可避であると確信する

そのためには、どうひっくり返っても英語って必要なんだなと痛感をしています。
そんなに必要なことだとわかってるのに、なんで大人しく英語を学ぶことを観念しないんだろうという自分へのもどかしさもありますが笑。
参考:ヤサワ諸島~旅行後記 英語の葛藤~(パパの視点)

どう考えても今後私たち家族にとってボトルネックになりそうだということは腹落ちしましたので、いい加減やっておこう!と思えるくらいになりました。

英語を使って何したい?

英語習得の必要性と併せて、もう一つ気づいたことがあります。
それは「海外の人と同じになること」を目的にしないこと。

例えば、発音。
ネイティブと全く同じような発音に憧れはありつつ、世界の英語人口のうち、非ネイティブの割合は約80%。
つまり、英語を話せると言っても出身国によって発音の違いがあるのは当たり前だし、恥ずかしいことではない。

むしろ教養によって新しく言語を習得したということで母国語訛りは知的なシグナルになる可能性もあります。
フランスのマクロン大統領のフランス語訛りの英語が知的に見えるように。

また、「自分は海外でどこまで通用するか」を確かめるために、見知らぬフィールドでゼロから戦うということはしなくてもいいのではと思っています。(もちろん人それぞれです。)
英語というハンディキャップがある中で、しかも未経験の職種で海外就職は少なくとも避けたい。

海外勢に紛れて、グローバルエリートと同じ土俵でしのぎを削るのではなく、日本に産まれ日本で育って得られた情報・感性・ノウハウを海外勢には真似できない強みとして、自分だけのフィールドを作ってやっていかないと疲弊してしまうなと思うようになりました。

日本に固執せず、日本を見捨てずに生きたい

今の日本は閉塞感が漂い、気がついた人から日本を抜けてゆくような状況になってきています。

どこから見るかによりけりで本当に色んな見え方をする日本ですが、人生1/3も過ごした国なので、ただ抜けるだけでなく、今後もずっと持ちつ持たれつの良い関係でいたいと思います。