移住生活

「世界で一番幸せな国フィジー」の幸せを経験して考えたこと

フィジーに育休移住をして早3か月が経ちました。

3か月なんて長期の移住者にしたら誤算の範囲のような期間ですが、その間にも日々の生活を通して多くのフィジー人と交流し、世界で一番幸せな国フィジーを経験してきました。

その経験を踏まえて

フィジー人は本当に幸せか

答え:幸せ。

世界幸福度調査第一位というのは最もだと感じます。
では、どういうときにそう感じるか、私から見たフィジーの良さを3つあげてみます。

笑い声が絶えないフィジー

街を歩いても、レストランにいっても、バスに乗っても、いたるところで『アヒャヒャヒャ!』という笑い声が聞こえてきます。
本当につられて面白くなってしまうような笑い声ですw
私はこの笑い声が大好きです。

日本の公共の場で、日本人でそんなに笑う大人ってあんまりいないんじゃないかな。
もし笑ったとしたら、周りが抱く第一印象は『変な人だな』『迷惑だな』でしょう。
なぜか、他人の笑い声が不快に感じる日本人。

子どもに優しいフィジー

子ども連れだからこそフィジー人の優しさにたくさん触れられていると感じるときがあります。

例えば、バスに乗ると必ず席を譲ってくれます。もちろんフィジーに優先座席なんてありません。
私たちは、子どもが3人いるのでそれでも席が足りなかったりしますが、その時は近くの人が膝の上に乗せてくれます。
見知らぬ人同士がみんなで手分けして、子どもたちの面倒を見てくれる構図の一丁出来上がりです。

レストランでは、私たちがご飯を食べているとき、店員さんが子どもを抱っこしてくれます。
『抱っこしているから今のうちにお食べ!』と言って、抱っこをして他のお客さんのオーダーを取りに行ってくれますし、忙しくなったら他の店員さんにパスして自分の仕事に戻ります(笑)。

スーパーの帰り道、息子はスーパーでもらった段ボールを頭にかぶりながらフラフラ歩いていたのですが、フィジー人が『ブラーブラー(やほー!やほー!)』と段ボールをノックしながら通り過ぎていきました。

日本だとこの光景を見て、舌打ちをしだすおじさんが発生してもおかしくない状況ですよね。

なんと子どもにフレンドリーなんでしょう。

フィジー人は、一つの家に親戚みんなで暮らすことが多く、大家族で育ってきたので、子どもがいる環境が当たり前ですし、誰もが子どもへの接し方を自然に身に着けているんですね。

日本では、核家族化が進んでいます。
2018年の時点で三世代世帯、つまり親と同居している子育て家庭の割合は約6%です。
出典:国民生活基礎調査(厚労省)

日本の電車内で舌打ちするおじさんは(すみません、決してディスっているわけではないですし一例です!)、団塊の世代にあたり核家族化の影響を受け始めた世代です。
戦後に比べて兄弟数は少なく、家庭を持っても高度経済成長期であったため、夫婦分業という形をとり、それこそ24時間、企業や日本のために身を粉にして働いてくれました。

よって、子どもと会えるのは、夜中子どもが寝静まった頃なので、子どもが周りの空気を読まず激しく動き・激しく音を立てる存在だとは経験則的に理解出来ない人もいます。

また、慢性的なストレスに覆われた日本社会の中で家族のために頑張り疲れているので、少々のことでいら立ってしまうことも無理はありません。

私は、本人に問題があるのではなくて、その人が生きた時代の社会環境が問題ではないかと考えています。
だいぶ話が逸れました笑。

働かなくても生きられるフィジー

フィジーは食べ物が豊富にあり(実は自給率を見たらそうでもなんだけど)、困っていたら親戚の人を筆頭に周りの人が助けてくれるので、働かなくても生きることが出来ます。
参考:人は働かないとどうなるか
ホームレスが少ないというのもフィジーの特徴かもしれません。

“働かないと生きられない”

そういった考えが根底にないので、過度なストレスを抱え続けて病気になってしまうことがないのでしょう。

“働かざるもの食うべからず”という諺にもあるように日本では、ほぼ全ての生き方に労働を根底にした価値観があるので、フィジー人は同じ人間に見えて、実は全く違う生物なのかもしれないとさえ思いました。

フィジー人の幸せじゃないかもしれないところ

もちろん、幸福度調査的にフィジー人が幸せの絶対王者であるかもしれませんが、やっぱり個人で見ていくとそうでもないなと感じるところもあります。

これを語るときはつい主語が大きく読まれてしまいますが、「こういう人も見たよ」くらいに読んでいただけるとありがたいです…!

仕事中はめちゃくちゃ不機嫌なフィジー

すごく嫌そうに仕事をします。
豊富な食料が生えていると言っても、都市化するにつれてお金が必要なってきているので働かなければいけません。

自分に正直に生きているので、『嫌なことは嫌だと表現できている』時点である意味幸せだとも思いますが、人生の1/3を過ごす仕事がそこまで嫌ならちょっと可哀想だな…とも感じました。

もちろん、日本の出勤する時のように大量の人間が無言で駅の構内を歩くような光景はないのでご安心を!笑
楽しくやっている人もたくさんいます。

インド系フィジー人の人はちょっと表情がこわい

ただの私の感想になってしまいましたが、フィジー国民の4割を占めるインド系フィジー人は、デフォルトで表情がこわいです笑。

これは目の細い私に対して「眠いの?」と言っているくらい見当違いかもしれませんが、とても世界一幸せそうには見えません笑。
幸福度調査の対象に偏りがあったんじゃないかな?と思うくらいに。

経済発展のはざまで揺れている

実は、フィジーの都市部で暮らす分には、日本と比べても何も不自由なく快適な生活が送れます。

物質的に豊かになり便利で楽しそうなものが手に入るようになり、前述したように働かなければいけない状況になりました。

多くのフィジー人の片手にはスマホがあり、どこでもスマホを触っています。
メッセージのやり取り、ゲーム、中でもyoutbe動画をずっと見ていることが多いです。
グローバル化の波はフィジーにも確実に来ていて、あまり先進国と変わらない光景をよく見かけます。

また、フィジーの幸せの根幹であるみんなで助け合おう!みんな家族!という文化は都市部を中心に徐々に薄れてきています。
フィジーの都市部には村や離島から、移り住んだ人が多くいますが、たまに『自分の住んでいた島は良かった。島にある食べ物は誰が食べても怒らない。みんなのものだから。あれこそがフィジーだ』と懐かし気に故郷を語ってくれることがあります。

しあわせは いつも自分のこころがきめる

日本流の幸せを知っており、新しくフィジー流の幸せを知った上で、やはり自分はどんな角度から見ても幸せじゃんということを率直に思いました(すみません頭がお花畑で笑。)。

『しあわせは いつも自分のこころがきめる』というように、幸せかどうかは環境が要因ではありません。
幸福度世界一位のフィジーに来ても、良い意味で自分に変化がなかったように、自分に集中していればそれで幸せなんじゃないかと感じました。

その上で、靴に小石が入っていたらそれを取り除くように、自分にとって違和感はきちんと取り除いていけば、心地良く過ごし続けられるのではないでしょうか。

そして願わくば、自分が幸せであることを幸せだと、声高らかに言っていい日本社会になってもらいたい。

ここ数年の世界幸福度調査によると、日本は18~25位あたりですが、そもそも日本人は自分が幸せでも周りを気にして『私は幸せ』とは言わない国民性です。

謙遜の国民性を考慮すると日本人は意外と幸せと感じている人も少なくないんじゃないかと思いますし、例え自分が大変でも、その人が幸せなら幸せと言わせてあげて欲しいなと思います。