フィジーで充実した生活を送るために、保育歴50年(!)の園長先生と家族の関係性を強くするための作戦会議をしてきました。
私たちが通っている保育園は、世間でいう自然派保育園です。
乳児は布おむつで生活するし、幼児は多摩川や高尾山に毎週出かけて泥だらけになって帰ってきます。
(その洗濯物の量と汚れたるや…おっと話が逸れました)
自然の中で生き物や植物の発見をしたり、季節や天候によって変わる空気のにおいの違いを知るなど、子供らしい感性で楽しく生活しています。
お迎えの時には、多摩川で採ったサワガニを虫かごに入れて見せてくれたり
派手に転んだであろう擦り傷だらけの膝を見せながら『痛かったけど、すぐ泣き止んでそのまま遊んだんだよ!』と誇らしげに話してくれます。
そんな頭も身体もフルに使って遊べる環境を整えてくれる保育園にありがたみを感じますし、
保育の道50年(!)の園長先生の保育理論を聞けることが今の保育園に通える喜びでもあります。
私は職業上、生産性向上やコミュニケーション能力向上等ヒューマンスキル関係の講師を務めることがありますが、
脳科学・心理学などの数多の研究根拠に基づく最新理論と、保育の道50年(!)の専門家が考える理論が相通じるところがあり学びになっています。
医療の発達によって、先人の知恵が証明されてきたと言われていますが、園長先生と私の会話はそれと似ているなぁと感じました。
例えば、『和食は身体に良い』と世界で注目されています。
それは脳神経分野の研究によって、小麦のグルテンが脳の炎症を引き起こすことがわかってきたからですが、
おばあちゃんから見たら『和食が身体に良いのは』何十年も前から言っていたことだろうと思うわけです笑。
頭でっかちにならずに、偉大な方々がお話してくれるならもっともっと会話をしていこうと思いました。
*
さて、現在子どもたちは、5歳(男)・2歳(女)・0歳(男)。
徐々に2歳の娘に赤ちゃん返りの傾向が見えてきました。
一般的な赤ちゃん返りに比べると大したことはありませんが、
保育園のバイバイで大泣きして、午前中はぼーっとする様子が目立ってきました。
もちろんそうでない日もありますが、日替わりでそんな傾向が出てきています。
園長と相談をした結果、保育園に登園するのは5歳の息子だけにして、出国までの1か月間、2歳の娘は家で親との時間を作ることにしました。
以下、園長と話していた子どもの年齢別の関係性構築について
0・1歳…まだわからないので上の子のケアを優先しても良い時期。
2・3歳…親とのつながりで精神的な欲求が満たさせる時期。
4・5歳…仲間とのつながりが構築されてきて、仲間同士で成長し合う時期。
たしかに、5歳の息子は、私たち夫婦と園長が話をしていてもお構いなく、年長同士で多摩川に出かけちゃったもんなーー笑。
しかし、フィジーではその仲間たちがいないので、フィジーの仲間が出来るまでは家族とのつながりが重要になってきます。
2歳の娘が、今最もケアが必要な時で精神的な欲求を満たしてあげなければいけません。
といっても、家にいて親の周りでコロコロ転がっていればそれでOKと言っていましたが笑。
甘えとわがままの違い
今日スッキリしたポイントの一つ。
精神的な欲求を満たしてあげるといいましたが、『物理的な欲求』ではないことがポイントです。
私は、甘えさせてあげることとわがまま放題させることの線引きってなんだろうと悶々と考えていたのですが
以下のように整理が出来ました。
- 甘えさせること…精神的欲求を満たすこと
- わがまま放題させること…物理的な欲求を満たすこと
『お菓子食べたいよー!』『おもちゃが欲しいよー!』『パパかっこいいー!』みたいな物で満たす行為は、物理的な欲求です。
それでは、ただのわがままな子の一丁上がりです(うん、我が家はこっちだなと思ってるw)。
お母さんの隣にいたい、コミュニケーションを取ってほしい、愛情を確認したいということを満たしてあげる行為で精神的な欲求が満たされたということになります。
それによって親子のつながりが構築されていき、物理的な欲求が起こったとしても真摯に話し合えば
子どもも納得し、ただ物を与える以外の選択肢を取ることができるということです。
…めっちゃ難しいということは承知している笑。
このつながりの構築が親と3人の子どもたちそれぞれに出来ていてば、
『わ~ん!パパー!ママー!』だけでなく、『わ~ん!にぃに~!』という未来にもつながってくるということです。
関係性の中で兄弟を育てる
『最近は、兄弟なのにそれぞれを一人っ子のように育てている親が多いのよ』ということも言っていました。
これを前提に考えるから、『親は夫婦で2人しかいないから2人しか育てられない』という発想になると。
父と母と3人の子どもたち複数人が関係をし合う環境の中で育てていくとどうなるか。
『乳児を授乳させているときはお母さんは、抱っこができないんだ』ということがその状況からわかったり、
現実的に難しい要望と、そうでない要望を理解するようになっていきます。
そういったことをせずに、子どもの要求を無理してすべて応じていくことが、兄弟一人ひとりを一人っ子のように育てるということであると言っていました。
精神的な欲求を満たせて、関係性の中で育てれば、子どもに説明をすれば状況を理解してくれるし、パパママだけにならず、兄弟同士で解決をすることにつながっていきます。
(そんなことを書いていたら、新生児を抱えたパパに、娘が抱っこって言ってきた時、息子が『にぃにが抱っこするのでもいい?』『うん』って会話をしてくれたよ😢泣ける)
保育園に通っていたら、親同士もつながってナナメの関係だってあるしね。
親だけで何とかしようと無理しても結果子どものためになってないいう。
※ナナメの関係…親でも教師でもない第三者と子どもとの新しい関係のこと。
つまり、現代ではそのような志を持った保育園が“地域で子どもを育てる”ために機能しているという理解をしました。
3人育てるって、ただ今までの子育てを3倍するってわけじゃないんだなー。
本当に目から鱗。
自由保育と放任保育の違い
私が入園前まで勘違いしていた自由保育と放任保育の言葉の意味の違いについて。
自由保育
自由保育は、子どもが存分に遊べるように環境を整えてあげる。
例えば、事故や怪我が発生しないように危険がない場所を選んだり、事前に危険物を取り除いたり
その環境で子どもたちの遊びが広がっていきそうかを考えて場所選びをしてあげるというようなことを考えます。
(当然ですが、キャラクターショーがあるからとかそういう意味ではありません。)
子どもの発達状態や仲間との関係を観察してどんな遊び方が出来そうかを考えて、
それを自発的に発案してもらうために様々な問いかけをしていきます。
ただ環境を用意するだけではなく、その環境でどんな楽しい遊びの可能性があるか
適切なタイミングで絶えず気づかせてあげるということも役割としてあります。
友達同士でケンカになった場合も、すぐに親が介入せずにじっと見守ったり
言葉を選びながら解決のサポート役に回って、子どもたち自身で解決出来るように導いてあげたりしています。
これには双方の親同士の信頼関係も必要になります。
つまり、子どもを自由にしたいのであれば親の手間はすごくかかります。
自由保育はすごく手間のかかるものだということを入園して身に染みて感じました。
放任保育
これと対極にあるのが放任保育です。
表面的には子どもが奔放に遊んでいるので自由保育のように見えますが、ただほったらかして遊ばせているだけというケースがあります。
おもちゃを与えて、あとは好きにしてくれい、というケースもあります。
親の手間はほとんどなしで楽ちん笑。
どちらかというと当初の私は『自由』という言葉を盾に後者の感覚が強かったように思います。
悠然と構えている親のように振る舞いつつ実は親としてのスキルがないだけだったのかもしれません。
個人的には父親はこのパターンが多いと感じています。
『子どもの好きなようにやらせてあげたい』『のびのびと育ってくれれば』というのは父親の常套句ですが、
それを言うのは、他に引き出しがないからです笑。
結局、1周回ってその常套句通りの結論に至るのですが、大抵はただ育児のレパートリーがないだけの場合が多いです。
(大変反省をしております。)
数年間の園長との対話を通じてわかり徐々にわかり始めてきましたが、自由保育の子どもたちは子ども本来の豊かな発想を駆使して思いきり遊び、
時にハッとするほどの子どもの力を感じることがあります。
遊びのパターンもめちゃくちゃ豊富です。
(詳細のエピソードは他の記事でちょいちょい挟んでいくね。)
放任保育に慣れている子どもたちは、自由という環境に実は戸惑い、よく見ると暇つぶしのように遊ぶ様子が見られます。
遊びのパターンも多くはありません。
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日々子育てをしている中では、自由保育が放任保育になってしまったり、
自由保育だと思ってやろうとしていたことが“管理保育”に振れてしまったり、忙しい気づきの毎日を送っています笑。
※管理保育…保育者の効率性を求めて子どもたちを動かすこと。
親がかけた手間に対してどんだけ違いが生まれるのかわかりませんし、
子育ては、かけた時間じゃないという考え方もありますが、
費用対効果を狙っているわけでもなく純粋に育児のちょっと深い楽しみを見つけ始めた気がするのでやっています。
(子育ては、十人十色で正解がないものなのであしからず。)
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最後に、保育園の他の親御さんを見ていると、『子どもが主役である』ことを片時も忘れずに動いています。
保育園の秋祭りや運動会など親参加型のイベントが多いのですが、親が大人のパワーを使って楽しむだけでなく
『子どもたちを置いて行ってないかな』『明日からの保育園で子どもたちがどんな会話をしてどんな遊びに発展するだろう』ということを並行して考えているので
その姿勢を私も忘れないでおこうと考えたのです。
(イベントの帰り道「一人で楽しみ過ぎだよ」と妻に怒られながら)