移住生活

育休の後ろめたさをなくす思考法

会社の同僚家族が、はるばる日本からフィジーの我が家に遊びに来てくれました!

今回来てくれた同僚は、つい最近まで一緒に仕事をしていた内の一人です。
私が育休を一年取って、家族5人でフィジー移住をしている身にも関わらず、全く後ろめたさを感じずに会えるということに、同僚の懐のひろさを感じます。

それをきっかけとして本記事で、
「育休中に抱える後ろめたさについて、どのように心の折り合いをつけたか」ということに関して考えました。

私は育休を取らせてくれた会社・同僚に「全力の引継ぎ」と「最大限の感謝」をしつつ、育休生活を思い切り楽しんでいます。
全力の引継ぎといっても完璧な引継ぎではないので、抜けているところはそっとフォローしてくれているということは容易に想像できます。(この場を借りてありがとうございます…!)

休みが取れない、辞めれないとおっしゃっている人には、共通点があります。
それは『周りが苦しい思いをしている時は、自分も苦しい思いをしなければならない』という思考のクセがある点です。
私も道徳面ではすごく共感します。

だからこそ、問いたい。

みんなで苦しい思いを続けていたら望む未来が手に入りますか?

みんなで苦しい思いをすることで解決する課題でなければ、それは周りに押し付ける価値観ではないと考えています。

『みんな苦しいんだから、私が楽しんだら不謹慎!』

ということを聞くと、漫画でよく見る『天井が降りてきて、みんなで踏ん張って支える』シーンを想像してしまいます。
天井は本人たちのキャパを少しオーバーしたくらいの強さでジリジリ下がってきます。

これは職場だけでなく、日本社会全体で起きている現象かもしれません。

そんな時に取るべき行動は、全員で疲れきるまで天井を支えるのではなく、誰かが違う行動を取って、新たな解決策を持ち込んでくることではないでしょうか。

下がってくる天井を支えるみんなに対して、

・ちょっとウィダーインゼリー買ってくる!
・他の人呼んでくるね!
・天井が止まるスイッチ見つけてきたよ!

そんな行動を取る人が必要なのではないかと考えています。

江戸時代の“五人組”(相互検察、連帯責任制度)が日本の国民性とハマって、ばっちり機能したところを見ると、一人違う行動を取ることはすごく胸がざわつく行為だというのは理解できます。
自分が行動する時も、他人が行動しているところを見ることも含めて。

それでも、今そんな制度は廃止されているのでどうか気が付いて欲しいと思う。

私たちが取るのは、育児休業(いくじきゅうぎょう)であって、育児苦行(いくじくぎょう)ではない。

『私が休めないからお前も休むな』

お互いに苦しさを強いる余裕のなさは、社会としてすごく不健全です。
日本社会全体を覆うこの雰囲気をすぐに変えられるとは思えないけど、少なくとも自分の周りはそうしたくないと切に願います。

この忙しいときに辞めるんかい!休むんかい!と思ってしまう気持ちは、もちろん私も何度も感じてきました。
条件反射的にその感情が芽生えるのは仕方がないけれど、それでも一呼吸置いて、気持ちを切り替えて私は笑顔で見送り出したい。

ちなみに、周りの負荷を軽減しながら長期休暇の取得を実践している事例は、国内外多くあります。

例えば、バカンスの文化があるヨーロッパのドイツで働く日本人の方が、ドイツの長期休暇取得の工夫について紹介しています。

長期休暇を取るための主だったポイントは以下。

・リーダーには誰かが休暇でもその仕事が滞らないように、サポートしあうチーム作りを主導することが求められる
・2週間以上の長期休暇は、1人ずつとるように、半年ごとに休暇予定表を出してもらって、全員で会議をして調整
・こういったところは意外に柔軟で、日本人的なお互い様の精神のようなものが垣間見られ、各々がそれぞれの家庭の環境を考慮して譲り合いをしている
参考:そんなに休んで大丈夫? ドイツ的働き方と、そのリアル。

私の職場でもドイツのような仕組みで運営してますし、一つの仕事に対して必ず2人以上担当が割り当てられているので、引き継いだ特定の一人に負荷がかかることがありません。
私一人が育児休業に入った時は、8-10人くらいの方に少しずつ業務を引き継いでもらいました。

私たちが強く望めば、手段はいくらでも出てきます。

私はそんな人を応援していきたいし、共に過ごしたいと思います。